文化の違いと誤解

先日、ドイツ人の友達からこんな話を聞いた。

友達が泊りがけで数日間遊びに来てたんだけど、ある日、私が仕 事に行っている間に、私の少し散らかっていた部屋を勝手に片付けたんだよ!信じられる?棚に置いてある私の服を畳みなおして、きれいに並べてくれたんだけ ど、人の物を勝手に触るなんて信じられないって、もちろん本人には言ったけど。その友達、最初はどうして私が怒ってるかわかってくれなくて。

だから『もしも、私が棚に大人の玩具を隠してたりしたら、どういう気持ちになってたと思う?!』って言って、やっとわかってくれたんだ。

こういうことは、どの友人間にもあり得ることだ。

自分の日本人の友達でも、こういう時に心から「ありがとう」というような、誰でも家に入れて勝手にしてても気にしない人もいれば、誰にもプライベートに立ち入ってほしくないため、友達を家に絶対に入れないような人まで色々なタイプがいる。

この片付けをした友達はドイツ人だ。だからドイツ人同士で価値観の衝突があり、それをこの出来事によって知ることになり、今後、この二人の間では同じような出来事は起こらないだろうということが予想できる。

でも、もしもこの泊りに来ていた友人が、外国人だったらば、友人のリアクションは「~から来たから、ドイツの習慣がわかっていないから」となっていたのではないかと思われてならない。

同じ国で同じ地域で育っても、考え方が全く違う人は沢山いる。例えば、潔癖症にとって、外から帰ってきて石鹸を使わないで手を洗う人や、床に落ちた物を3秒ルールで食べてしまう人は、まるで異文化から来た人のように見えることだろう。

そ ういう時に、何かすぐに理由となるものがそこにあれば、ほとんどの人は、時間をかけて相手を理解することよりも、その理由をとっさに掴んでしまう。そして それが、あたかも事実であるかのように受け止め、その場を心の中で納めるだろう。例えば「この人は、親が共働きで育ったから、しつけがちゃんとしていな かった」とか「比較的、貧乏な家庭で育ったから」とか、全く見当違いでも、それなりに妥当な説であれば、それがその人の中で事実となる。

文化の違い

文化の違いは、価値観の違いに面したときに、一番最初に目につく「言い訳」である。

「あなたの国では、こういう時にこうするものなの?」と、相手の見解を知ろうとするよりは、「この人は外国からきたから、きっと感覚が違うんだ」と自分に言い聞かせる方が簡単で、その場を素早くおさめることができる。

但し、これが問題になるのは、次回、同じ国から来た人と出会った時や、又は同じ友達を違う状況下で、同じような理由を使って理解しようとするときである。

例 えば、国Aから来た友人Bが、ヨーグルトの蓋を開けた時に、蓋の裏についたヨーグルトを一目を気にせずに舐めたとする。その時、少しびっくりしたあなた は、「Bは人目を気にしない人なんだな」と言うよりも、「きっと国Aから来た人たちは、人目を気にしないんだ」という風に考えたとする。

するとあなたの中に、説が生まれる。「国Aから来た人たちは、人目を気にしない」。

次 に、あなたが国Aから来た人と知り合うことになる。友人Bよりも、シャイで内気な友人Cを、「でも実はそうではないはず」と心の中であなたは思う。後日、 例えばお店のどこかでサンプルを勝手にとって行っていい機会があったとする。そういう時に、日本のおばちゃんたちが、5個以上バックに詰める中、友人Cは 一個ではなく、2個とったとする。するとあなたは、やっぱり友人Cは国Aから来たから、人目を意識しない人だったと思い、あなたの説は、仮説ではなく事実 となる。

国Aから来た人を見るたびに、同じ状況下で他の日本人がどうしていようとも、周囲の目線を気にせずに、自分のしたい事をする人と言う風にあなたの目には映るだろう。

でもこれはあくまでも、たった一つの出来事から派生したことである。たった一人の外国人の友人を、異文化体験にまで拡張してしまうのはどうだろうか。この例は大げさに聞こえるかもしれないけれど、こういうことが多々ある。

日本では特に起こりうる状況

在日外国人の少なさ(外国に対する排他的な態度)は世界でも有名だ。こういう中で、英会話の先生であったり、たまに見かける同じ界隈に住む外国人であったり、一度行ったきりの海外旅行先での経験を元に、自分のその国の気質に対する説を築き上げてしまうことがある。

先ほどの例を使えば、あなたがもし国Aから来た人と会う機会が沢山あったり、国Aに住む機会があったらば、いつかはあなたの考えが間違っていたことに気づくこともあるかもしれない。ただ、外国人と接する機会さえ乏しい日本では、「~人は~だから」という話をよく聞く。

さ らに、テレビや映画もこの傾向に加担する傾向がある。日本のテレビと日常生活は、全く違う。ドラマのように日本の刑事が、銃で誰かを撃つことは日常では想 像が付かない。外国でももちろん、ドラマと日常には大きな差がある。しかし、外国に行って日常生活を実際に味わったり、日本でそういう国から来た人たちを 知り合う機会がなければ、ドラマから受け取ったあなたの中にある印象をぬぐい去ることは難しい。

人の第一印象は、なかなか取り除けないのと同じく、ステレオタイプも長く残るものだ。

相手を知ろうとする努力を

自分自身、誤解されることが多いため、相手をなるべく一括りにせず、個人個人をしるような努力をしている。

こういう時に役立つのが、人を置き換えて考えることだ。

もしもこの人が日本人だったら、同じことをしていただろうか?友人にはいないけれど、こういう日本人も確かにいるなと、相手を置き換えてみると、すぐに「~人は~だ」に至らないで、状況を見直すのに役立つ。

又、会話を持つことも大切だ。異文化交流に関わらず、友人間でも、「これって普通だと思う?」「いつもこうなの?」という風に質問することで、相手の見解を知ることができる。

これは相手を知るだけではなく、自分の知識にも役立つ。間違ったステレオタイプを持っていると、恥ずかしい思いをするのは自分かもしれない。

何か違いを見つけたら、相手をよく知る機会であるということを覚えておくと、オープンマインドな人間に近づけるはずだ。これで「外国人嫌いの日本人」というステレオタイプの一例にされるてしまうことから、逃れることもできるだろう。

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