小さいころから物書きに「なりたい」というよりも、自然といつかは「なる」と思っていた。

若くて無知で無敵というのはこういうことなんだと思う。

今となっては恥ずかしいけれど、20代になってから出版社に企画書的なものと書き始めた本の一章を送った。しかも自己紹介のビデオも作った。結果は、音沙汰無し。「受け取りました、検討します」もなく、完全に無視。でも私が編集者だったら、同じことをしていたと思う。

このころ25-26歳だったと思う。30歳が近づいてくるのを感じて、「このまま何もしなかったら、ライターにはならないのではないか」と危機感を感じ始めた。それもそのはず、この時点で執筆作業なんてはじめておらず、持っているのは憧れと日記だけだったのだから。

どこからか始めなければいけないと向かったのは、地元の図書館。そこで最初に手に取った本の最初の数ページで心が折れた。タイトルは「本を書きたい人が最初に読むべき本」というようなまさに自分にピッタリのタイトルだった。しかし、その本の冒頭にはこう書いてあった「酒の席でその場を沸かせるような話題も、紙に書いてしまうと薄っぺらくておもしろくないもの」。

私の書こうとしていたことは、まさに友達との集まりで、周りを笑わせるような、そんな話だったのだ。

この本は借りることなく、棚に戻した。

それから機会があるごとに、ライターになる夢を掲げては諦めてを繰り返していた。本当の挫折は味わったことがないし、血がにじむほどの努力もしたことが無い。

ライターへの道

地元の無料新聞の編集長と知り合いになったことをきっかけに、コラムを担当させてもらうことになり、これで一気にコラムニストになるかと思えば、そうもならなかった。結局はボランティアで終わった。

ウェブライターの仕事はネット上に溢れている。

最初のうちは、仕事をもらっては一喜一憂して、これでライターになる!と思っていた。それも、単発の仕事ばかりで、長期的にはなにもならなかった。それだけではなく、もう記事を書いたシリーズが没になったので、報酬は払わないと、支払いでもめて、訴えますよという感じで払ってもらったけれど、これで業界大手のクライアントを失ってしまい、もうライターは無理なのかとも思ってしまった。

安定した会社員生活

そして、こんなのには疲れてしまい、いつの間にか安定した収入を求めて会社員になりたがっていた。そして会社員になった。

副業でまたウェブライターの仕事をし、でも見合わない仕事は受け付けなかった。そうしているうちに、ライターの仕事が増えてきた。ビザの関係で、会社から副業の許可をもらうために上司に相談したら、社長とかけあってくてれ、週5日から4日勤務になり、もっとライティングの仕事ができるようになった。

週末もなく二つの仕事をこなして2年後、クライアントの押しで、フルタイムでウェブライター系の仕事をすることになった。会社員の仕事をあきらめたくないと1年以上ねばったので、うちで働いてくれるのであれば同じくらいの額を支払うということで、文章と関わる仕事をしながら、会社員の収入を得ることができるようになった。

ライターになった今

自分はラッキーかというと、そうでもないと思う。今の時点では、好きなものを自由に書けるわけではないし、なんといっても過去2年間、仕事が終わってから夜遅くまでや週末も副業で働き詰めだった。今、ものかきになりたいかというと、実はそうでもない。自分の本を出版したいとか、自分の考えを発信したいとか、そういうものが無くなってしまった。

結局、ライターという仕事につきたいとは思っていても、動機が「有名になりたい」とか不純だったし、本当にやりたいことでもなかったみたいだ。ただ、「書くことで生計を立てたい」という想いはあって、それが形は自分の予想とは違うにしろ叶った。同じようなことを書いていて本を出版した人達を見ても、嫉妬の念はおきない。書くことはただのメディア(媒体)で、人と繋がることの手段で、繋がりたい人と繋がれるようになった今、書くことはそれほど自分にとっては大切なことではないのかもしれない。

余談だけれど、パスワードを目標にすると叶うという話を聞いたことがある。中学の時は好きな人の名前をパスワードにしていたけれど、ここ10年くらいはずっと「ライターになる」そしてパスワードを変更しなければいけない関係で「トラベルライターになる」になった。思い描いていたトラベルライターとは、出版社に旅行代を出してもらって旅行先のことを書くようなライターだ。でも実際には、ライターになると同時にアパートも失ったので、トラベルしながら書くライターになった。パスワードにもっと具体的な目標にしていたら叶っていたのだろうか。

コロナのせいで、タイに行くというわけでもなく、一か月ごとにアパートを替えながらクライアントの国に行ったり、暖かい国に行ったり、間でドイツの地元に帰ったり、ヨーロッパ内のノマド生活を始めた。30を目の前に焦っていた当時の自分は、今の自分を認めてくれるのかはわからない。ただここ数年の中では一番好きな自分になれた気はする。