海外生活エッセイについて想うこと

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今年も新年の目標に、本を読むことを加えた。最低でもフィクションを10冊とノンフィクション5冊読むことにしていたら、自営業になったこともあり、余計な仕事のストレスがないせいか、案外7月にはこの目標をクリアしてしまった。

受賞作品や難しいけれど読まなければと思っていた本はもう読んでしまったので、普段は読まない、さくっと読める日本語のエッセイ集など、敢えてタイトルに釣られて評価やページ数を気にせずにいくつか買ってみた。

吉村葉子の『フランス人は人生を三分割して味わい尽くす』を読んでみた。フランス生活に関する本で、どこかでみたことがあるなと思ったら、前に読んだ『フランス流お金をかけずに豊かに暮らす方法』と同じ作者であることに気づいた。

この筆者は、フランスに20年以上滞在し、旦那さんは日本人でフランスで子育ても経験した人だ。

この方は、性格もあるのか、フランス在住ライターとして長く働いているせいか、フランス生活を本当によく書いている。

私のフランス人の知り合いにも共通する、金銭感覚や、自立感など、本を読んで「なるほど、こういう背景があったのか」と思えるところが多々あった。駐在妻ではなく、フランスに住み、文化や言葉を知って、フランス人を知って、日本との比較もさることながら、フランスならではのラテンな場面や自由なところをよく捉えていて、経験談も、筆者の気づきが多くあり、この人はフランスをよく知っているなと思わずにはいられない。

その反対に、よくこんな本が出版されたものだなと思ったのが、キューリング恵美子の『ドイツ人はなぜ「自己肯定感」が高いのか』

30代でドイツ人と国際結婚しドイツに移り住み、自分なりに文化の違いなどを乗り越えて、ドイツという国について日本を批判するわけでもなく、ドイツはこういう国だと書いた本。この人は、どう考えても自分の世界が小さく、ドイツ人との付き合いが限られているとしか思えなかった。

ドイツは大きい国ではないけれど、地域ごとに特色があり、ドイツとして一括りにするには少し無理なあるところがある。読んでいて、これは違う、これは誤解している、これはドイツでは普通一般じゃないと思うところが多々あり、20年近くドイツに住んでいいて、この人はドイツ語ができるのだろうか、ドイツのニュースを見ているのだろうかと思うところがあった。

筆者のプロフィールには「『生身のドイツ』を知る数少ない日本人として精力的に情報発信を行なっている」とあり、読み手が国内に住む日本人だからってドイツを知らないと思って、適当なことを言いたい放題なのかと憤りを感じた。

まず、筆者の住んでいる地域も特殊で、収入も中流階級の上の方なのだなと感じるし、旦那さんの会社ばかりを例にとっているところを見ると、ドイツの会社でドイツ人と対等に働いたことがなさそうだと感じずにはいれなかった。旦那さんの出身地も旧東ドイツで、この特殊環境に基づいた経験をドイツ一般化するのには無理がありすぎる。

唯一、普通に受け入れられたのは、自分の経験を基にして、一般化しないところ「私の経験はこうでした」というところ(例えば、筆者の婦人科での経験など)。ほかの「多くのドイツ人が」というところには、何を基準に言い切れるのだろうと首を傾げてしまう。

本もエッセイも世界を知らなければ知らないほど、書きやすいのだろうなと思う。

読んでいる方のことも考えてほしい。適当なことを書いて、それにおかしいと気づく人もいれば、気づかないでフェイスバリューでそのままかかれているままに受け取ってしまう人も多いと思う。これはステレオタイプの温床だ

高校生の時に、ワルシャワで働いていた日本の女性の本に感化されて、多国籍の同僚の中で働きたいと思ったものだ。これを今読み返したら、自分も海外に住んでいるものとして、書かれている内容から、筆者を品定めし、この人の言っていることは本当なのか、それとも独断と偏見なのかと、懐疑的に読みはじめ、最後まで読む価値があるのかを決めるだろう。

答え合わせのために、既に知っている内容を読んで批判するのであれば、読まないほうがいいと言われたら、言い返す言葉は見つからない。ただ、限られた経験の中で「この国はこうです」と自国の読者に向けて書いている筆者には耐えられず、知っている立場として読まない方がいいですと言わずにはいられない。特に、日本の出版社が内容の事実確認はできないために、このような本の出版はフェアではないと思う。

名も知られていない、海外に住む一日本人のエッセイ集は、売れないだろう。そこで、自分の経験を一般化して、ドイツではああだこうだとするのは間違っていると思う。エッセイは自分という主体を抜いてしまっては成り立たない。その人の経験や見方がどうしても反映されてしまうのに、自分を消して、これはみんなが経験することとするのは荒技だ。

国際社会、自分が発信しているものを誰が見ているかわからない。

先日、YouTubeで、ある国に住んでみたらこうだったのような日本向けのビデオをのせている人が、その国の言葉で「私はあなたたちの国が好きです。人種差別はしていません」などど謝っている謝罪ビデオがのっていた。その国の人たちが、字幕を使ってか、好き勝手に自分の国についてビデオを作っているこの日本人を非難したようだった。(個人的には、この人は現地の言語も習って、現地の人とも交流があり、確かに日本向けに配信していたけれど、差別しているようには感じなかったが)

キューリング恵美子という人のドイツのに関する本がドイツ人に読まれたら、どうなることなのか。日本から来たのに、よくドイツという国についてご存知ですね」という感想は、まずないだろう

反面教師として、このような文章を書かないようにしなければなと思うのだった。最低でも、ドイツに関して一般的な本を書くなら、ドイツの友達に意見を聞いてからにしようと思う。

ユカリ